京都をバブルがおそった1980年代の後半、都市計画系の大学院生だった頃のことです。当時、町家の建ち並ぶ地域に地上げが横行し、多くの高層マンションが建設されていきました。その変更やとりやめを求める住民運動が各地で取り組まれました。バブル時代には、行政の「都市計画」で商業地域と位置づけられた大都市の都心部は、そこに昔ながらの木造住宅で安心して住み続けることを許さないものでした。
まちづくり憲章は、そうした状況のなかで、やはり高層マンション計画におそわれた京都市東山区のあるお町内が始めた取り組みです。そこでは自分たちの住むまちの良さを歴史的なつながりのなかで確認し、そこに住み続けることでその良さを守ってきたこと、そしてその良さをこわそうとする建物を許さないこと、をうたっています。私もこのお町内の運動に研究者グループとしてずっとかかわってきました(つづく)。 (ki)